短編集4

16.常時臨戦態勢



邪魔をするな、付きまとうな、触るなと。
そう言い続け、喧嘩なのか憎しみ合いなのか、そして愛なのか。
それすら混沌とし続けたまま、今に続いていて。
妾はこの世界に堕ちて、奴もいて。
ここは懐かしのロンドンでもなく、我が祖国でもなく。
なのにとても優しい安らぎを与えてくれる、魔術が一般化された島。
齢数百年の妾をいとも容易く受け入れた、幼子たちの学び舎。
なぁ、我が元婚約者殿。
―――今一度、問うても良いか?




校舎の一角にある教員室の、奥。
給湯室で現在絶体絶命のヒトがひとり。
豪奢なドレスを毎日身に纏い続ける愛称“女王陛下”が、背を壁につけて目の前で迫ってくる男を退けようともがいていた。
「…ローデット、今すぐ退け」
「エリィがそう言って、僕が退けたことがあったっけ?」
そう問われ、彼女は小さく「無いな」と苦虫を噛んだような表情で言った。
「では何故妾はお前に抱きしめられそうになっている?」
「それはエリィが逃げようとするからじゃないかな?」
問いに問いを返され、いや厳密には彼は問うているのではなく、確認の意味ではあったが…彼女は、エスタフェリアはもう一度先ほど、迫られる前に言った言葉を繰り返した。
「いい加減に妾の魔力を返せ。アレは我のぞ、お前にくれてやるほど安くはない」
この世界に来る前からずっと奪われ続けていた魔力。魔法を行使するための力をほぼ全て奪われている、今も変わらず。
だが、この世界…ひいてはこの場所、スカロフ魔法学園都市に来てからロードデスロワは変わった、とエスタフェリアは思っていた。
前よりも回りくどくなくなった。傍にいるようになった。いくつかあげようと思えば、上げられる変わったと思われる特徴。
だから今一度、彼女は返せと、そう言っただけ。もしかしたら性格が柔らかくなったのではと、そう思って。
なのにこれだ。無碍にされ、しかも何故か抱きしめられようとしている。不可解だと、彼女は不快を露わにしていた。
「返す訳ないじゃない。前は諦めてたでしょ?ずっと、さ。なのに何で今になって返せ、なんて言ってくるの?」
「…それは、」
諦めていた、確かに。前はどうしていいか、分からなかった。何百年もずっと、この男との距離を測りかねていた。
幼子のころのように傍にいればいいのか?でもそうしていたら、魔力を奪われた。これ以上大切なものは奪われたくない。では、遠ざかる?たった一人の同胞と?
分からない、分からない。彼女はただ困惑していた、今も昔も。
一番近くに居たはずの彼が、ずっと、分からない。
「なら、いい。傍に寄るな、無礼者」
また諦めた。それでいいの?と心は問いかけても、それでいいと押し込める。
どうせ何年をかけようともこの男とは理解しあえない。そう諦めればいいだけの話。
「……ねぇ、」
不意に、男が口を開いた。
「何だ」
「一緒に暮らそうか?」
「…は?」
今、この男は何を言った?
「一緒に暮らそうよ。何ならソレイユとリュンヌを連れてもいいから」
いきなりなんだ、と思うより前に、
「とうとう頭がイカレたか?傍に寄るな、と妾は発言したはずだが?」
「うん、聞いてたよ」
「なら何故そんな発言に行きついた」
うーん、と思案げにロードデスロワは目線をゆらゆらと彷徨わせてから、エスタフェリアの手をとって微かに口づけた。
「いい加減、僕に守られていてほしいなぁって思って」
「…訳がわからん」
何を言ってる。お前が妾を守ったことがどれほどある、と彼女は言いたかった。
だがすぐに吐かれた男のセリフが彼女の言葉を留めてしまった。
「一緒に暮らしたら、ずっと、ずーっと守れるでしょ?昔みたいに」
微笑む男。そして青ざめるのは、勿論エスタフェリア。
「馬鹿な事を言うな!たわけが!」
体力のない腕で、ロードデスロワの手を振りほどき、エスタフェリアは給湯室から出て行く。
こちらが少し甘い顔をしたこれだ。馬鹿馬鹿しい、煩いことばかり言う。訳が分からない。そして、そして。
何より―――馬鹿げている。裏切り者が。
「教師の用事以外で声をかけるな、裏切り者の無礼者が」
そう言い捨てて、出て行く。ロードデスロワの表情は彼女に見えない。
―――例え、彼がとても悲しそうな、愛しそうな、不思議な表情をしていたとしても。
彼女には見えない。いつだって彼女は見落としてばかり。
そして彼女は廊下を突っ切って、校舎から出ようとしながら考えていた。
暫くソレイユを傍につけておこう。教師の仕事の手伝いとして、傍におこう。勿論、本当は護衛として。ロードデスロワを近づけないように、近づかれないように。魔力も体力もない自分じゃ対処できなくても、忠実なる執事ならいいようにしてくれる。
そんなことを考えていた。彼女は、いつものように彼を邪険に扱って。彼の真意を見落として。
良く考えなくとも、彼の言葉は明らかに―――プロポーズにも近かったのに。



彼女は見えない、何も。彼のことを見ようとしているはずなのに、見えない。
そしていつもどおりの日々が過ぎて行く。ただそれだけ。
もう何百年も同じことの繰り返し。
彼女は気付かない、彼は気付いていても明確にしない。…もしかしたら気づいていない部分も多分に含んで。
そうやっていたちごっこのようなことをしているのを傍で見続けている執事はきっと、彼女からの依頼にため息を付くだろう。仕方ない、と。
だって彼らは“そう”なのだ。
彼らがどんなに介入して、介在しても。
変わることのない距離と心。
それが変わるのは、いつか。
それは誰も知らないまま、時間だけが過ぎて行く。
さて、死なない身の二人がお互いの真意に気づけるのはいつ?



End
17.古文書の解読



わたしはいつもひとりだった。
世界の全てを収めたような広い図書館のような場所が、わたしの住処で。
もう色褪せた記憶になってしまったその場所に、わたしは長いこと居た。
でももう違う。
わたしの前に青空はあって、あの世界のような灰色の空でなく。
わたしと話してくれる人がいる。
わたしと関わり合う人がいる。
とても、今、幸せ。




無造作に渡された古びた書物。恐らく。
恐らくと称すのは、わたしがこれを見たことがないことと、もうひとつ。あまりにも冊子と呼ぶには古過ぎて、最早本の形態を保てていないように見えたからだ。
「…フェリエン、これの解読を頼めるか」
ブリーズトが言う。いつもよく首を突っ込んでくるアニマロイドは食事に夢中のままで。そう、今は昼休み。わたしの居る校舎とブリーズトのいる校舎のちょうど真ん中にある庭園で、一緒にご飯を食べていたのだけれど。
突然渡された古びた書物。多分、魔術書。時折ブリーズトがわたしに依頼してくるのは大抵が魔術書か、古代文明のもの。多分今回は前者だと思う。
「魔術書、また誰から借りたの?それとも、もらったの?」
「両方違うな。俺伝いにお前に依頼だ」
珍しい、というよりは初めて。ブリーズト以外の人から頼まれごとなんて。
「…誰から?」
「情報屋まがいのことをやっているのが、中等部にいる。ソイツからだ」
情報屋と言えば、繁華街の片隅で喫茶店をやっているマスターだけど…どうやら彼とは違うみたい。でも学園に情報屋の人なんていたかな。
手元の魔術書を見ると、タイトルさえ擦り切れて欠けている。古代文字が使われているのは分かるけど、古代魔術の術式に使われる言葉でもなく、古代文明のものでもない。…多分、人間のものじゃ、ない。
わたしみたいな異端の存在か、それともこの世界であと二つある世界の住人の…。
「これ、地界か天空のものだと思う」
「そうか」
「うん」
ブリーズトはいつだって簡潔。わたしも大差ないけれど。
だからこそずっと一緒にいられるのかもしれない。似ているところがたくさんあって、でも決して同じじゃない。年齢も性別も役割も力も。
「…少し、その人に話を聞きたいんだけど、どうすればいい?」
「アイツか?…そうだな、とりあえず中等部に行って誰かに聞くのが手っ取り早いだろうな。一応、人気モノらしいからな」
「わかった」
食べ終わった弁当箱を片付けて、お腹一杯なのかブリーズトの横で寝ているアニマロイドを少し撫でてから立ち上がる。
ブリーズトはいつも過保護なのに、今日に限ってはわたしが誰かに会いに行くというのに一緒に行くとも言わず、ただ見守ってくれている。何故だろう。
それほどわたしを信頼してくれている…わけじゃ、ないと思う。自分で思っても悲しいけれど。だから、たぶん、答えはひとつ。
信頼できる人なのだ、きっと。
だからわたしは警戒しない。彼が判断したことを疑わない。それがわたしたちの絆。無償の信頼。それがあるから、多分今ここにいることができるんだと思う。



少し歩いて中等部がある校舎に行く。そこはまだ昼休みの所為か人がいっぱいで…正直、押し流されそう…。
「あら、小等部の子じゃない。大丈夫?どしたのよ、中等部の校舎まで」
すると、可愛らしくもよく通る声がわたしに降りかかってきた。ふと見上げる。わたしよりそれほど高い訳でもない背、少し見上げるようになるくらいの。
彼女は蒼いリボンをポニーテールに巻いて、何故かセーラー服を身に纏っていた。赤い髪が印象的な、人。
「大丈夫…」
「顔色悪いわよ?ウチの弟みたいでほっとけないから、こっち来なさいって。誰かに会いに来たの?何なら呼び出しかけてあげるわよ?」
矢継ぎ早な言葉に追いつけない。声をかけるタイミングを逸してしまう。
「え、ええと…」
「あ、ごめんごめん。あたし結構早口なのよね。で、どうする?」
そう言って、廊下をすいすいと泳ぐように人をかき分けながら、くるりと振り向いてくれた。
「わたし、中等部で情報屋みたいなことをしている人を捜しているんだけど…、わたしに依頼があって」
「依頼?どんな?」
興味があるのか、その人は目を輝かせて聞いてくる。わたしは大人しく答えた。別に機密でも何でもないのだから。
「魔術書の解読を頼まれて、」
そう言うと、彼女は眼をいっそう輝かせてから、わたしを手近な教室に引っ張りこんだ。教室の中は誰もいない。何がしたいんだろう、この人…。
「それあたしね!って、ことは…」
今、彼女は自分が件の情報屋だと言った。と言うことは、わたしに依頼をしてきたのはこの人?
「貴方がフェリエンね?!」
「あ、は、はい」
それからにっこりと笑って彼女は、握手を求めてきた。勿論応じる。それ位、今は大丈夫。…昔より力の制御くらい、できるようになったから。
「こんにちは、あたしエーゼリンよ。ちょっとワケ有りの魔術書だからね、センセたちには頼めなくてさ。幼馴染たちはそゆのからっきしだし…。で、そーゆーの得意なのが一人小等部に居るって聞いたのよ、人伝にね」
はきはきとしゃべる人だなと思う。わたしやブリーズトとは、ちょっと違う。
「こんにちは…えと、ちょっと魔術書について聞きたいことがあって」
「何かあったかしら?」
古びた魔術書を見せる。多分彼女は知らないかも知れないけれど、一応、聞いてみよう。
「この魔術書、とても古い…悪魔か天使の文字列で書いてあるの。大地に存在するどの古代国の古代語とも違う。系譜からして違う文字だから、少し時間がかかってしまう…と思う。だからせめて解読の手がかりに、どこでこれを見つけたのか教えて貰えないかと思って」
ふんふん、と頷いて彼女は少し難しい顔をした。それから少し難しそうに頭を抱えてから、口を開く。
「えーっとねぇ、それ、幼馴染のトコで見つけたのよ。…その幼馴染ってのが、悪魔でね。彼の屋敷で見つけて、あたしが貰ったモンなのよ」
彼も何なのかよく知らないみたい、と言う。
地界で見つけられたものだったとは、流石に思わなかった。
誰かが悪魔か天使を召喚して、その時に綴った…つまりは召喚された彼らが大地で綴ったものだと思っていたのだけど。どうやら大きく予想を裏切って、彼らの土地そのものに存在していた書物のようで。
「…そう」
「ごめんねー?無理そうだったら、無理強いはしないわよ?」
「平気。こういうの得意だし、少し時間かかってもいいなら、大まかに位は解読できるから」
これでも長い年月を図書室のような場所で過ごしてきた。膨大な資料に膨大な物語。膨大な言語の中に囲まれて育ったわたしだから、こういう読み解くものは得意。
「うん、じゃあお願いね。また訪ねてきてくれたら、幼馴染の悪魔にもう少し話聞いておくわ。何かの足しになるかもしれないし」
「ありがとう。それじゃ…また」
古い本を持って去る。
少し解読が楽しみ。だってまた誰かに会えるかもしれない。この本を通じて。 ずっと一人だったから、楽しい。誰かと会うの。誰かと接するの。
本が導いてくれるなんて、あの頃は考えられなかったけれど。
好きだけどウンザリしていた本が、少しまた好きになれた気がする。
「…あ、授業」
鐘が鳴ってる。多分、昼休み終了の鐘の音。
「急がなくちゃ…」
わたしはここにいる。たくさんの人と一緒に。
この遠い世界で。



End
18.当たらない弓



魔術はあまり使えなくたって、アタシは魔術学園に行きたかった。
アタシはあの子の親友だから、あの子とずっと一緒にいるって約束したから。
例えお互い恋人が出来て、家族が出来て…そんな風になっても。
隣にいるよ、ってアタシが言ったんだから。
それを当のアタシが守らなくてどうするのよ!




まるで逃避行か駆け落ちみたいね、って笑うアンタ。
アタシは笑ってなんか居られないって言おうと思ったけど、でもアンタの顔見てそんなこと言う気なくしちゃった。
昔っからふわふわした子で、アタシがいないと迷子になりやすくて、でも芯は強くて。アタシの憧れで、妹みたいな存在。
その手を引っ張って逃げる。逃げ出す。この都市から。…アタシたちは逃げる。
もう就職するほど大人なのに、どうして逃げなきゃいけないんだろうね?
「イリューシャ、平気ー?」
「私は大丈夫よ~。ルシエ、走って」
手を繋いで走る。これで男女だったら駆け落ちだね。と笑う。笑える。
だってアタシたちを追っかけてるのは軍でもなければ、魔物でもない。矢をつがえて、剣を握ってはいるけれど、れっきとしたイリューシャの父親の部下たち。昔から顔見知りだった、人たち。
万が一にも矢なんて当たらない。そりゃ掠る位はするかもしれないけれど、昔から可愛がってもらった人たちに傷つけられっこない。
「どうしてイリューシャのお父さんは頭固いかなぁー?」
「どうしてかしら…?ごめんなさい、私にもよく分からないの」
走りながらしゃべる。気が付くと、イリューシャは魔術で少し浮いていた。
「あ、ズルイっ!」
「…ルシエは苦手だものね、魔術…」
そうアタシは魔術が苦手。でも魔術学校は卒業した。
そしてこれから、魔法学園に就職する。雑用でも事務でもない。勿論、教師として。
イリューシャは魔法が得意で、この魔法都市の都市長の娘で、先天的素養なんていっぱいあった。だけどアタシは殆どなくって、珍しい位に努力で魔力を上げて、なんとか頑張ってきた。
でもこういう時はちょっとだけずるいと思わなくもない。アタシもそんな風に呼吸をするように魔法を使ってみたかった。
普通の人は、そんなの可笑しいって言うかもしれない。だけど、アタシはイリューシャみたいになりたかった。ふわりと笑うだけで、魔力を漂わせて―――って、
「い、イリューシャ、何してんのよ?!」
「何って、ルシエと飛ぼうと思っただけよ?」
気が付くとふわりと体が浮いていた。イリューシャの隣に躰が浮いている。…イリューシャの力だ。
「ちょ、ちょっと良いよ!アタシ走るから…っ」
「ふふふ、丁度いいわ。これで海も渡ってしまえば、もう追いかけてこられないもの」
まるで空気の椅子があるみたいにふわりとアタシも魔力に座り込む。呆れたのと、楽になったので、力が抜けた。
「もぉー、イリューシャって時々無茶するよね」
「そうかしら?」
時々、このお嬢様然としたイリューシャは胆力があるというか度胸があると言うか、突拍子もないことをいきなりやってのけることがある。それは今も昔もちっとも変わらない。
でもきっと、今からも変わらないんだ、と思う。
だって今から行くところは世界最大の魔法学園。孤島を丸々学校にしてしまった処。アタシたちが就職する場所。
「さ、行きましょう。あの人たちに手を振って」
「はいはい」
手を振る、なんて今まで追いかけられて、ちょっと攻撃までされてた人に対してどうなの、と思いつつも、やってしまう。
さようなら、アタシたちを育んでくれた魔法都市。
そしてはじめまして、アタシたちを迎え入れてくれた新しい魔法学園!



「ふふふっ」
「イリューシャ、あの学校に就職決まってからホント楽しそうだねー」
この子は良く笑うけれど、いつにもまして笑みが絶えない。
「だって楽しみなんだもの。昔約束したでしょう?一緒に、魔法学校に就職しましょうね、って」
そうだった。アタシとイリューシャは約束した。本当に小さい頃。まだイリューシャが魔法を遊びにしか使っていなかった頃。アタシがまだ全く魔法が使えなかった頃。
ずっと一緒にいて、それこそどこへ行くのも一緒。だから就職するなら、一緒にね。と、古臭い子供染みた約束。
でもそれは今でも変わらなく、紡がれ続ける約束で。違えたことは、これまで一度たりともない。
「…そうだったね」
「そうよ。ルシエは忘れっぽいのね。私はずーっと覚えているのに」
笑う。微笑みが耐えない。
新しい生活にわくわくして、ドキドキして、でも。
その傍に変わらない貴方がいるから。この興奮、止められない。
絶対楽しいって分かってる。
これまで二人で過ごしてきて、楽しくない日々なんてなかったんだから!
待ってなさいよ、新しい魔法学園!



End 19思い知れ、我が魔力の偉大さを!



恐れを為せ、震い怯えるがいい。
ボクの力はセカイ、全ての源、全ての根幹。
その力に恐れをなすがいい。
この力はセカイ、この力は異端。
全てを背負ってセカイを壊すボクを、誰も止められるはずがないんだから!




轟音と人の悲鳴。誰もが沈黙していく場所。
戦場ではない。ここはただの草原…だった、場所。
ボクが滅ぼした、草原だった場所。
「―――ボクに刃向うからだよ」
ぽつりとため息とともに呟く。だって、だって、と言い訳のように。
いやそれは当然言い訳だ。けれど正当防衛でもある。
ボクに突然襲いかかってきた盗賊団が悪いのだ。ボクの力量も分からずがむしゃらに。そして一斉に向かってくるから、つい、機嫌の悪かったボクが本気の3分の1程度を出してしまっただけ。
『なんて…なんて顔をしている』
ふわりと辺りが熱くなる。“彼女”、だ。
高貴で気高く、そして美しい。彼女を模した、“彼女”。
『我が主、そなたを傷つけるものはもういないよ』
かなしい顔をするなと、“彼女”は言う。
根源たる焔の女王オルガ・セプト・ディーナ』…疑似的なボクの召喚した精霊王。本物の焔の女王である根源たる焔の女王オルガ・セプト・ディーアとは違う。けれどよく似ている。まるで双子のように。
そうあるようにボクが召喚したのだから。召喚して、作りだしたのだから。
「大丈夫だよ、ボクは平気」
ヒトを殺したくらいじゃ、もう挫けない。
だってボクはセカイをも殺そうとしているのだから。
『そなたはほんに幼子よ。力のままに振るった拳を振り下ろすしか分からない』
嗤う彼女。この人は…精霊は優しい。人は優しくなくても、精霊は優しい。ボクにとって、だけれども。
「うん、分からないさ。でも分からないから、ボクはどこまでも行ける」
セカイをまたいで、セカイの果てへ。世界と世界を繋いで、どこまでも。
全てを分かっていたら、きっとこんなことできない。きっと立ち止まってしまう。でもそれじゃあ駄目だから。それじゃあ、望みを果たすことなんて夢のまた夢になってしまうから。
「ボクの力の偉大さは分かってるだろう?…ディーナ」
『…痛いほどにな』
嗤う。また、嗤う。
君はいつだってボクを見て可哀そうな顔をして、嗤う。憐れむように、同情するように。
「…あ」
ふと気配をめぐらすと、草原の向こうに這いつくばって逃げようとしている人影を見つける。盗賊団の生き残りのようだった。煤汚れた服とボロボロの剣。もうそのナリじゃ、もうどこの町にもいけないね。だから。
「ディーナ、焼き殺して」
この力を喰らって動く、疑似精霊王。この身を喰らって、敵を滅ぼして。
『主の、望みならば』
女王は動く。揺らめいて、そして。
「……偉大なる『焔王の魔術師ロワ・ド・フラムソルシエ』を甘く見るな、盗賊如きが」
世界中に名を響かせているボクを剣しか使えない男だけで殺そうなんて無理。ボクを殺したいなら、それこそ精霊王か神に匹敵する力の持ち主を呼ばないと。



さぁ、セカイを焼き殺そう。
彼を幸せにして、彼女と笑っている日々を夢見て。



End
20崖っぷちの戦い



息が切れる。もう駄目だと、心臓が煩い。
ぼくは走れないから、ミュウの背に乗っているだけだけれど、振動が伝わる。
怖い、怖い怖い怖い。
追いかけてこないでと何度叫んでも、駄目。
時速40kmで走るミュウでも追いつかれそう。
大きな、獣。
ぼくとは仲良くなれなさそうな、闇の獣。
怖い、怖い怖い怖い。
早く、逃げなくちゃ。




ミュウと言う名のピンク色の丸いイキモノ…魔物に乗って駆ける。背からは、大柄な獣が追いかけてきてる。魔物、ぼくとは仲良くなれない理性を失った、正しき魔物。
洞窟に通りかかったときに何故か刺激してしまったらしい。でもただ通りかかっただけなのに。それほどまでにぼくが、ミュウが美味しそうに見えたのだろうか?
「ミ、ミュウ、早くっ…!」
答えるように鳴くミュウ、そしてそれに呼応するようにスピードが増していく。
丸っこくて走るには適さないような躰でも、ミュウは早い。全力を出せば時速80kmを超えるというその速さ。
ただ木々が邪魔をして、そんな早さを出せるわけもなく。こうなれば一刻も早く森を抜けるしかない。
「ミュウ、南へ。森を抜けるよ!」
葉をこする音が聞こえながら、森を駆け抜けていく。景色がどんどん移り変わるのを目にしながら、ちらりとうしろを見る。
まだ、いる。まだ追いついてきている。どうしよう。
ぼくは魔獣使いだから、アスターやヴィントのように直接的な攻撃手段を持たない。魔獣の皆に助けてもらわないと。
でもこの状況で彼らを呼ぶこともできない。早く逃げないと、追いつかれて咬みつかれ八つ裂きにされてしまう。
「ミュウ、早っ…―――っ!!」
ざぁ、と木々がさやなったと、森を抜けたと思った瞬間。
ぼくらは崖の上から飛び降りた形で、宙に舞っていた。
「―――っ、あ」
堕ちる。瞬間的にそう思った。
けれど、ぼくは落ちない。―――何故?


ふわりとぼくとミュウを支える、何か。柔らかい羽根のような、手。
「…あれ?」
その手の持ち主を探してみると、ぼくとミュウを掴んだまま空中に浮かぶハーピーのアッシュがいた。
「あ、ありがとう、アッシュ」
ミュウも鳴いている。きっと同じように礼を言った。なんとなく、分かる。
アッシュはその柔らかな手でぼくらを包み込んだまま、ふわりと崖へと降ろしてくれた。
“…迂闊だ。私がいなかったらどうなっていたことか”
アッシュの声が聞こえる。ハーピーの高周波音で紡がれる声が、ぼくにだけは聞こえる。
「ごめんね」
“気にするな、だが気をつけろ。森の翁が私のところに飛び込んできたぞ”
森の翁、ぼくを育ててくれた魔物の…フォー・ウォーリアの魔獣。大きな狐のような、翁にぼくはいつも心配をかけてしまう。
「ご、ごめんなさい。翁にもあとでお礼言わなくちゃ…」
“ミュウ、しっかり主人を守れ。お前に攻撃手段はなくとも、スピードがお前の武器のはずだが?”
ミュウも謝るように鳴く。ミュウはしゃべることができないけれど、ぼくはミュウの考えることが手にとるようにわかる。何故かミュウとのシンクロが、一番高い。ミュウとならどこまでも同調できるほどに。
“私は住処に帰るが…リーデ、今度はこんな事態ではなく、私のところに遊びに来て顔をみせてくれよ”
ふわりと舞い上がるアッシュ。顔は鳥だから、表情があまり無くて良く分からないけれど、声は優しい。
「うん、今度ミュウと行くね。本当に、ありがとう!」
手を振る。舞い上がっていく、ぼくの友達のひとり。



魔獣使いだからとか、使役できるからとかじゃない。
皆はぼくの友達で、力を貸してくれるだけ。
ぼくは皆とコミュニケーションをとる手段があるから、ぼくは彼らと仲良くできるだけ。
悪い子なんて、あんまり居ないんだ。…皆、彼らを恐れるけれど。
だからぼくはいつだって彼らには優しく、仲良くありたい。



「…えーと、帰ろうか…ミュウ」
座りこんでいた地面からミュウの背によじ登る。ミュウは我慢強く待ってくれて、ぼくが乗った瞬間少しずつ歩きだした。
云わなくても、どんどんスピードが上がってく。そうだね、もうすぐ夕飯の時間だから急がないと。


―――これは日常、ぼくと皆のいつもの日々。


End
21新種の魔物?



ぼくは幼い頃に孤児院にいた。
おかあさんの顔はうっすら覚えているけれど、お父さんの顔はよく覚えていない。
柔らかい声がぼくを呼ぶ、それだけが家族の記憶。
孤児院に入ってからは、賑やかだった。
けれどそれも数年のこと。
数年で、孤児院は戦争で壊された。
ぼくも一緒に壊れる、はずだった。
皆と一緒に死んでしまう、と思っていた。
―――黄金色に輝く獣がぼくをそこから連れ出してくれるまでは。




森の奥をミュウに乗って駆ける。いつもよく通るけもの道。小さな獣たちは挨拶をしてくれるし、大きな獣もこちらに視線を寄せてくれる。少しくすぐったい。
葉が刺さりそうになりながら、駆けるミュウ。小さくてピンク色のこの子と出会ったのは、とても昔。
ぼくがまだ、孤児院から連れ出されて、2年ほど経った頃の翁の住処。
ぼくは生涯乗り続けるだろう、親友を手に入れることができたんだ。



ぼくは孤児院から助け出されたはいいけれど、生まれつき足が悪くて立つことが出来ない。孤児院では車椅子っていう、乗り物に乗って動いていた。自分一人じゃ動くことのできない、不出来な体。
ぼくを助け出してくれた森の翁…グー爺は笑ってぼくを背に乗せてくれた。けれど森を統べる翁がぼくをずっと乗せているわけにもいかない。
グー爺は色々なことを教えてくれて、ぼくがグー爺たち、つまり魔獣たちとコミュニケーションがとれることも教えてくれた。
ぼくが生きるために必要な知恵を教えてくれた。魔獣に育てられても、人間なんだよと教えてくれた。だから学校にも行きたかった。グー爺が行くべきだって言うから。
『でもぼくには足がない。足が、動かないから…行けないよ』
そう言って、グー爺を困らせてしまった。そんなつもりじゃないのに。この不出来な体は、ぼくの言うことを聞いて歩き出してはくれない。
そんな、時だった。
グー爺は「珍しい子がいるよ」と、ぼくに会わせてくれた。ピンク色のまんまるなら躰。まぁるい目に、可愛らしく紅いほっぺた。そして長い尻尾と、どこからどう見ても魔獣なのに、あまりに可愛らしくて一瞬、ぬいぐるみかとも思った。
『さぁて、トリュード族のおちびさん』
トリュード族とグー爺は言った。とても足が速くて炎を吹く、優しいけれどそれなりに強いって言っていた魔獣だ。とすぐに分かった。
グー爺は続ける。
『リーデ、おちびさんによじ登るといい。リーデをどこまでも運んでくれるよ』
『え…?』
おちびさんと呼ばれたトリュード族の子を見ると、目を爛々と輝かせてこちらを見ていた。脳裏に乗って、と声が聞こえた気がした。
声に導かれるように、ぷにぷにしたその背によじ登る。
すると突然走りだすおちびさん。ぼくはびっくりして背に捕まっていることしかできなかった。
そして驚いた。景色が矢継ぎ早に変わっていく。まるでグー爺の背に乗せて貰った時みたいに。
どんどんスピードが上がって行って、ぼくは振り落とされるかと思った。
けれどおちびさんはぼくを振り落とすことなく、森を駆け抜けていく。多分この森のだれより早いと思う。グー爺とどちらが早いんだろう。
そうして森を一周して、おちびさんはグー爺のところまで戻ってくれた。乗ったときと同じようにおちびさんの背から降りて、おちびさんの顔を見る。
『乗せてくれて、ありがとう』
構わないよと言うように、笑ってくれた。
嬉しい。こんな可愛いイキモノに乗れたなんて。
そう思って別れを告げようとしていたところに、グー爺が言った。
『おちびさんは今日からリーデの足だ』
戸惑うぼく、喜色を表すおちびさん。にやりと笑うグー爺。
『え、でも…こんな可愛い子、きっと群れがいるし、お母さんも…』
ぼくのためにこの子を奪ってはいけない。きっと家族が居て、友達がいて、きっと楽しい群れの中にいたはずなのに。
『リーデ、この子はお前さんと一緒だよ』
グー爺は静かな声で言った。
『この子は変種でね、ピンクのトリュード族なんていない。でもおちびさんはトリュード族だ。けれどね、おちびさんは誰より早く走ることはできても、炎が吹けないんだよ』
トリュード族は炎で敵を威嚇し、獲物を狩る魔獣。その魔獣が攻撃手段を持たなければ、どうなるか。考えるのは容易い。
『それじゃ、』
『そう、おちびさんは群れに見捨てられたんだよ。そして私が拾った。リーデならこの子と仲良くやっていけるだろう?』
どちらも捨てられて。
どちらも欠陥品。
でもだからこそ、支え合える何かがあると。
『ぼくで、いいの?』
ぼくは足が動かないから、どこへも行けなかったけれど。
君がいれば、ぼくは君と一緒にどこへでも行けるかもしれない。
鳴く、おちびさん。ああ、一緒にいるならおちびさんじゃダメだね。
『…ミュウ、って名前はどう?ぼくを手伝ってくれる友達におちびさんじゃ、駄目だもの』
笑って鳴いてくれた。鼓膜を通さずに、声が聞こえる。
“嬉しい!一緒に、頑張るよ!”
ぼくと一緒に頑張ってくれるという、友達。
笑った、ぼくもグー爺もミュウも。
ぼくが足となってくれる友達を手に入れたこと、ミュウがぼくという友達を得たこと。
全て、ぼくがここに今あるための、出会い。



「翁…グー爺は元気かな?ミュウ」
この間、アッシュに知らせてくれたこともお礼を言わないといけないし、話したいことはたくさんある。
最近は人間の、魔術師の友達がたくさんできたから、中々会いにいけなくて。でもそれを理由にしちゃいけない。だってグー爺はぼくの育ての親なんだから。
「行こうか、ミュウ」
鳴いて応えてくれるミュウ。ぼくの親友。
そして森を駆けまわれるようになったぼく。君がずっと助けてくれてるからだよ、といつも言う。
ずっと一緒に居られると良いね、と笑う。
世界は今やぼくの前に拓けていた。


End
22語り明かす夜



君と一緒にいられるなら、と思っただけで。
その時は一目ぼれなんて信じてなくて。
恋とか、俺にはまだ早いような気もしていたし。
でもこの出会いが、悪いものであるとは何故だか全く考えもよらなかった。




何の権力か、それとも偶然か。
俺たちは同室になった。
一目ぼれして出会った後。
入学式をサボった彼を連れて、クラス発表の方へ足を運べばクラスと寮の部屋番号が振られている。そこで彼と俺が一緒の部屋であることが判明した、と言うわけである。



「…そういや何でアンタ、腕と指に包帯してんの?」
彼が荷物を片付けるのを手伝って、お互いに風呂に入ったりしてから。もはや彼はここが自分の部屋のように寛いでいた。…元々俺一人の部屋だったのだけど、彼はそんなこと気にもしないようだった。
それから俺が風呂から出てきた後、の今の発言。
風呂上がりでも腕と指に巻かれた包帯。完治しない傷痕を見えないようにしたもの。彼はそれがどうやら気になったみたいで。
「リスカ?」
「一応違うんだけど、」
なんて言えばいいだろう、と思案する。この俺の特異な性質と言うか、魔術素養と言うか。世界に何人もいない、むしろ俺一人かもしれない性質。
「外していいか?」
まじまじと腕を掴んで見ながら、彼は言う。仕方がないから俺は頷いた。
彼がするすると包帯を外していく。そして、彼は目にした。
止めどなく流れ続ける血液。普通なら数時間で体内免疫が働いてふさがっているはずの1cmにも満たない場所から流れ続けている、今も。
それを押しとどめているのは学園で開発されたガーゼで、それを取っ払った腕は絶えず血液を流し続けていた。
「…免疫ないのか?お前、病弱設定とか?」
「いやそんなことはないんだけど、体質で」
俺の体はどこか切れば、絶えず血液が流れ続ける。普通の人のようにすぐにはふさがらない。それは魔法を行使するためでもあるのだけれど。
魔力が免疫を奪ってしまうのだ。傷口から血を流し続けるために、傷を塞ぐための免疫だけが消え去ってしまった。その代わり病気とかのための免疫は異様に強く、季節風邪なんかには掛かったことがないのだけど。
「へーぇ、不思議だな。勿体ねぇ」
「…まぁ血は足りなくなるし、勿体ないよね―――っ」
と、普通に話していたはずなのに、いきなり彼が俺の腕に飛びついた。唇を傷口に押し当てて、飲んでいる。…俺の血液を。
ぞくり、と背筋が震えた。血液を使用することはあっても、血液を他人に飲まれたことなんて、ない。
俺はその魔力の性質からヴァンパイアのようだと言われたりもするけれど、彼の方がよっぽどヴァンパイアみたいだ。血を飲むなんて。
「…ん、旨い」
「吸血鬼みたいだね、君」
こくこくと飲んでいる。絶え間なく流れ続ける血を、一心不乱に。御伽噺のヴァンパイアのように媚薬作用があるわけでもないのだけど。
「んー、飲んでも飲んでも減らねぇんだな。このままじゃ吸いつくしちまいそう」
「流石にそれは遣らないでね?…魔法が、使えなくなるし」
魔法が使えないと、授業に出られない。実技なんかは絶対に。
「魔法?血と魔法が関係あんの?」
ちゅるり、と音を立てて舐めていた腕を離す。そしてさっきと同じように包帯を巻いてくれた。何気に俺より上手だ。
「俺の術式はブラッド・スペル。名前の通り血文字を書くことで魔法が発動するんだ。だから血が止まらなように、体がそう作られてる」
血文字を書くにはかなりの量の血が必要で、ちょっと切った位の傷跡じゃでないほどの量。だからこそ、少し切っただけでたくさんの血がでるように体が構成されている。
それでも日常生活には不要な体質だから、こうして特殊なガーゼで押さえているんだけど。
「ふーん、だから血がこんななのか」
「…っ、そうなんだよ」
にやりと笑う彼が、あまりに妖艶に見えて。俺は一瞬言葉を喪った。
「じゃそんなに飲んだら悪いな」
「程々なら構わないよ。でもそんなに美味しい?」
包帯を巻き終わった腕をするりと撫でて彼がわらう。
「ん、こんな夜は飲みたくなる味だな」
「……それ、よく分からないよ」
俺はずっとヴァンパイアだなんて言われてきたけれど、君の方がよっぽどヴァンパイアみたいだ、なんて。
流石にまだ云わないけれど。
そのうち、きっと言うんだろうと何故か確信があった。




血を啜る音が聞こえる、今夜も。
どうやら満月になると、アーバインは血が恋しくなるみたいだと最近気づいた。
そしてもう半年余りの付き合いの彼に言うのだ。
「ねぇ、アーバイン…」
「んー?」
「やっぱり俺より吸血鬼みたいだよね」
「…そぉか?」
「うん」
予想したとおり、アーバインは気にも留めないけれど。
でもそれがいいのだ、アーバインはそれでいい。
そうやっていつも夜は更けていく。最近は吸血から、痛みを伴った閨事に踏み込み始めても。大して関係は変わらない。まどろむ様に堕ちて行く。ただ、それだけ。




End
23お金が、足りません。



ボクはこの学園で生まれて、この学園に育てられてきた。
親がいなかった訳じゃない。
単純に親がここにいて、だからボクもここで育つ。それだけのこと。
だからそう、ボクにとっては外からくる人は当たり前で。
でも同時に憧れを抱く。どんなに傷ついてココへ来た人へでも。
…外はどんなでしたか?ここと違うんですか?
…どんなにか傷つくほど、外は怖いんですか?
…綺麗ですか?汚いですか?それとも、本当は。
外、なんて。存在するんですか?
そんなことまで考えてしまうほど、ボクは全く外を知らない。




授業終了の鐘が鳴って、皆ざわめきながら教室の外へと出て行く。
ボクも同じようにしようと思って、ふと財布の中身を確認した。
「…あんまり無い」
そういえば先週あたりに大きな機材を買ったから、無いのも当然かもしれない。さらに、その機材を使って作りたいものもあったから材料もかなり買ったような気がする。…お金がないのも当然。
でもこういう時に限って、ヴィント辺りが容赦なく―――「おーい、ウィル!」ほら来た。
廊下に出れば、鞄を背負っているヴィントが楽しそうに駆け寄ってくる。
「ウィル、今からQuiet行こうぜ!」
Quietとは繁華街に新しく出来た変り種の多い菓子屋で、最近のヴィントのお気に入りだ。時折一緒に行くけれど、ボクは食べるよりそれを用いて錬金術がしたくなるようなお店。つまりは変わり者以外には人気がないような店だ。
「…すみません。ちょっと、今お金が足りなくて」
「あー、そういやこの前デカい機材買ってたよなぁ、ソレか?」
「ええ、まぁ」
また今度でもいいですか、と言いかけて止めた。この雰囲気は止めようという感じじゃない。長年の付き合いだから、流石にそれ位は分かる。
「一個位ならおごるから付き合えって」
言うと思った。機嫌のいい時は何かを聞きたい時だから、きっと言うと思ったよ。
「隣のコーヒーショップ位のお金ならあるから、そっちならいいですよ?」
「…うーん、まぁ良いや。じゃ、そっちな」
「はい」



外には沢山あるチェーン店のコーヒーショップ。小さめのミルクがたっぷり入ったコーヒーをひとつと、ヴィントの前には甘いキャラメルが沢山入ったチョコレートにも近いコーヒーがひとつ。
さらにヴィントは一口サイズのクッキーを口にしながら、言葉を発した。
「そういえば、ホントにお前って外でたことねぇんだよな?」
「ええ、父も母もこの学園に来て出会ったそうですからね」
でも父も母も魔術師ではない。この学園で専門の建築業者なだけで、魔術師への理解はあっても自らの子供が魔術師になるとは思っていなかったらしい。
「…ま、お前はそんでいいサ」
「何がですか?」
そう問い返すと、一瞬ヴィントにしては珍しく口ごもる。少しして、コーヒーを飲んでからやっと口を開いてくれた。
「オレらみたいな迫害されてから来た奴らにとって、お前は結構幸せな子供に見えるわけサ。でもそこがいいってコト」
「…良く分かりませんが」
幸せな子供、とやはり見えるらしい。でも多分幸せなんだと思う。
目に見えて迫害や傷つけられたことがあったわけじゃない。魔術師というだけで傷つけられたことはないし、魔法が使えることで何か云われたことも失ったものもない。
両親は魔術に理解があった。すぐ傍には学校があった。学校へ行けば同じ魔法を扱う友人と、先生たちがいた。それが当然だった。それこそが、ボクにとっての普通だった。
「そうですね、どこまで続くか分かりませんが幸せなんだと思いますよ」
例え、極稀に“鳥籠の鳥”のようだと思っても。
「ん、だから当分はソレで良いサ。―――ま、でも」
くるり、とコーヒーを緩やかにストローでかき混ぜて、云う。
「そのうち、オレと外、行こうぜ」
吃驚した。彼はこの場所で、この学園に居るのがとても幸せそうに見えていたから。
ここから飛び立つだなんて、考えていることすら知らなかった。
「外…ですか」
「そ、外。何だよ、お前行きたくねぇの?」
行きたいようでみたいようで、けれど怖い。
皆が迫害されて、傷ついた外。この目の前の友人もその一人で。
「…いきたい、です」
「だろ。お前、前に見てみたいって言ってたよなー」
軽い言葉、軽い雰囲気で彼は言う。
「オレの知ってる処なら案内してやるし、行こうぜ」
「はい」



まだ鳥籠の世界。守られた世界。
でも外へ行ったら、そうでないのかもしれない。
けれどボクは見てみたい。傷付いた世界の向こうにある世界を。



End
24久しぶりの仕事依頼



私は双子とそれから、私自身が存在すれば構わない。
そうやって生きてきたしそれが当然。
―――願わくば、彼女も存在してほしかったけれど、それは高望みに過ぎない。
それを痛いほど知っている。
例えこの場所が異世界でも、3人でいるなら。
私が守ってあげよう、けれど私が突き落としてあげよう。
2人が幸せなら、私はどこに居ようと構わないよ。




「綺麗ごとだと、君は笑うだろうね」
墓参り、なんて綺麗なものでもない。それにここは墓でもない。ただの導、私たちがこの世界へ来たときの名残の場所。
遺跡と呼ばれているようだった。エスタローペに似た建造物の、その前に私は立っている。
いつもなら授業の時間か、それとも人造魔物ホムンクルスを作っている頃か、それとも…。どれにせよ、私はあの学園にいるような時間。なのに私はこの砂塵の舞う場所に、ひとりで居た。双子も連れず、ひとりで。
「…笑うだろうね、君は。とても可愛らしく」
先ほど閉ざした言葉の続きをいう。きれいごとだと笑うだろう、けれどそれがよいのだとやっぱり笑うだろう。
双子の母、そして―――、いや口に出すのはやめよう。こんな場所で赤面してしまう。未だにこのことを口に出すのは恥ずかしい。双子に笑われてしまう。自分たちのことなど言えたものじゃないと。
「ああそうだ、君の子供たちはいつもながら可愛らしく元気に育っているよ」
何故か年齢を逆行してしまったけれどね、とは言わないでおく。別に鬼籍の人がどこかで見ているのなら、既に分かりきっていることだろうけれど。
それでも強さは前と…いや前よりも強くなったかもしれない。その小柄な体でスピードを武器に、前より強くなった。私の賜物だね、と笑って云う。そうでもしないと、顔を覆ってしまいそうだった。こんな風に鬼籍の人に何かを話すなんて事柄、初めてで。



生も死も私の概念にはないもので、珍しく、そして短いスパンで繰り返される生命の営みにしかないと思っていた。ただ知っている、それだけの事象で、それだけの連鎖。そこに想いなど、付属して考えたことがなかった。
それを教えたのが双子の母だったといったなら、双子は驚くだろうか、当然だというだろうか。それとも、私が人外であることに最初に驚いてくれるだろうか。



「次は双子を連れてくるよ、エスタローペの成れの果ても見たいだろうしね」
ニヒル笑う、いつものように笑う。それがさよならの合図。
「久しぶりに仕事依頼が来てね、学園に戻る前にやってしまうさ。双子には気取られないようにね」
多分、気づいて、それでも云わないで居てくれるだろうけれど。歳の割に聡いのは、向こうの世界で年齢を重ねたからか、それとも元来の勘か。
仕事と云うのはエスタリオーベのような駆動機械の設計で、錬金術と科学の融合でもある。最も、こちらで云う“錬金術”では楽器も作れるし、剣も銃も作れる。もはや科学と言い換えていいと思うのだけれど。
その依頼が、来た。手紙で人伝いに。多分軍事都市の依頼だろうとめぼしはついている。
帰る前にその軍事都市とやらで依頼人に会うことにしている。本来なら、会う必要もなく、納品だけしてみてもいいのだが、それでは面白くない。
ただそれだけのための寄り道。そしてこの墓参りにも近い所業。
「…また来るよ」
それだけで背を向ける。
乗ってきた単車駆動機械に乗って、砂塵を振りまきながら空気を飛ぶ。
相変わらず、君に会うのは暫く先になりそうだと心の中だけでつぶやいた。



End
25再びこの地で



幾億の世界、幾兆の人々。
交雑する人々と、交わり続ける人の波。
知ったヒトを見ては嘆き、似た生き様を見ては憂う。
それを繰り返し、繰り返し。
そうして疲弊していく、精神。
―――帰ろう、あの場所へ。彼女が待っていてくれる。




力の奔流に、まるでサーフィンでもするように乗りながら、力が集まる場所へ引っ張られる。それに導かれるまま、その場所へ降り立った。
基点の世界。交わりの中心。世界を結ぶもの、ユグドラシルのある場所。ボクが生まれた世界。遠い世界では“セパテレート・エンジン”と呼ばれていた“セカイ”。
どうやら降りたところはボクの第二の故郷らしい。ボクらが暮らした、あの場所。きっと彼女が―――「エステル…?」―――やっぱり、いた。
「…久しぶり、シー」
「驚いたわ。…お帰りなさい、エステル」
旅路から帰ってきた流浪の旅人を迎えてくれる人がいる。これ以上の喜びなんか、ない。
「ふふ、エステルったら…変わりましたわね」
「そう?」
気がつかないけれど、ボクは変わっただろうか。
ユグドラシルの力を受けて、時を捻じ曲げ続けているから身長は伸びていないと思うし、ありきたりな成長はしていないはずだけど。
「雰囲気がイルに似てきましたわ。とても皮肉屋な雰囲気がするもの」
くすくすと笑われる。―――そうかな?
彼に、ボクは似たのだろうか。だとしたら少し、嬉しい。
「そっか」
「でも、他は変わってませんのね。わたくしは相変わらず普通に成長してしまって、少し悔しいですわ」
彼女はそういって綺麗に笑う。
昔は可愛いと称される人だったのに、いつの間にかボクを追い越して、追い抜いて…そして綺麗になっていく。
彼が帰ってくる頃まで、待っていてくれるだろうか?…待てるの、だろうか。
「そんな顔しないで、エステル」
分かってる。ボクが、彼女を置いていったボクらが悪いんだ。だけど、だけど。
「わたくしはいつまでも待ちますわ。何だったら、わたくしにもその不老の術を齎してくれても構いません」
「…それはっ、」
「ええ、分かってますわ。貴方が、貴方達がわたくしを巻き込むまいとしていること。わたくしがいつもおいてきぼりなこと。分かっていて、わたくしは待ち続けていますのよ」
少し悪女にもなりましたのよ、と笑う。少女とはもう呼べない人。
「ですから、そんな顔をしないでくださいな」
「…ごめん」
「わたくし、これでも久し振りの再会なのですから、お説教なしに喜びたいですわ。親友との再会を」
「ごめんね、シー」
悪いのはボク。でもね、シー。
「でも、シー。待っててくれる、君も悪いんだよ」
待たれたら、帰ってきたくなってしまうじゃないか。
「知ってますわ」
笑う、彼女はただ。そうして静かに待つ彼女に、勝てるわけなどない。
動くより動かない方がとても苦痛で心の擦り切れることだと、知らない人はとても多いけれど。
「…ただいま、シー」
「はい。お帰りなさいませ、わたくしのエステル」



まだ、行ける。
君が待っていてくれるから、ボクは心を擦り切れさせずに、疲弊させずに、また飛び立てる。
大丈夫、笑っていて。君はそれを苦しいと思わないかも、苦しいと思っていて隠しているのかも、ボクには分からないけれど。
ボクを思ってくれるなら、イルヴァを思ってくれるのなら。
君は笑って、待っていて。
ボクと君を生んだ、この場所で。



End